アキラ君の人間観察記-7-

「邪気が消えた。もう大丈夫だ」
やってきたヴァルキリーの言葉に、仰向けに倒れたまま動かないブリズをとり囲んでいた男たちはようやく緊張を解いた。
アリューゼが彼にしては珍しく口が重そうに声をかける。
「なあ、ヴァルキリー。こういうことは、俺が言うべきでもないんだろうがな……」
「言うな。わかっている。――わかっているつもりだ」
ブリズのそばにひざまずき、彼の額にそっと手を触れながらヴァルキリーは穏やかに微笑んで見せた。
「私はただ、不安定なままさ迷う魂を、放ってはおけないだけだ。それが例え、他の世界の者でもな」
口を開きかけるアリューゼを制し、続ける。
「ただ、お前たちが考える通り、これを続ければキリがないのは事実だ。それに、このことが私の領分でないこともまた事実だが――」
「アキラぁッ、てめっ、よくもッ!」
「ッだぁあッ! やめろよ、バカ!」
背後で起こる怒声に目を向け、再びブリズのほうへと目を向ける。それからアリューゼを見上げるヴァルキリーの顔には、女神が浮かべるにはそぐわない自嘲めいた微笑が浮かんでいた。
「まあ、職業病のようなものだな」
これを聞いたアリューゼは、とがめるでもなく、納得したような笑みを浮かべて肩をすくめるにとどめた。
「職務熱心なのはいいがな、ほどほどにしておけよ。あまり根をつめるとルシオのやつが泣くぜ」
ヴァルキリーの物問いたげな視線を受けるもそれには答えず、アリューゼはヴァルキリーの内へと帰っていった。隻眼のエインフェリアも、アリューゼに同感だとだけ答えて彼の後を追うように姿を消したため、後に残されたヴァルキリーは釈然としない顔で空を仰いだ。
「なぜ、ここでルシオの名が出てくるんだ……」
「全くです。そこは私の名を出すべきでしょうに」
ヴァルキリーを見下ろす格好で後ろから顔を出したレザードに、ヴァルキリーは敵意むき出しの声を上げた。
「貴様! まだいたのか!」
「当然です。私の使命は、貴女をつれ戻すこと。貴女を伴わなければ、本来の世界に戻れないのですよ。それより――」
倒れたままのブリズに目を向けるレザード。その視界をさえぎり、ブリズをかばうように腕を広げるヴァルキリーに、レザードは苦笑を浮かべる。
「ああ。私は彼には興味がありませんので、ご安心を。この世界での関心事は、アンリミテッドぐらいのものです。が、まあ、それは今はいいとして。彼の手当てを急いだほうが良いと思うのですが、そこをどいていただけますか?」
短くうめき、ヴァルキリーはそっと後ろを振り返る。
既にヴィンセントが回復マテリアによる介抱を始めているところだった。
渋々といった様子でヴァルキリーは身を引いた。
「しかし、本当に頑丈なお人だ。吸血鬼は傷の再生が速いとはいえ、あれだけの攻撃を受けておきながらほぼ無傷とは――」
ヴィンセントと向かい合う場所で回復呪文を唱えつつ、レザードが感嘆のつぶやきを漏らした。その語尾にはヴェントの雄叫びが重なるが、誰も気にすることはなかった。腰を下ろし、彼らの魔法による手当てを見守っていたアーロンがちらりと目をやった程度だ。そしてその視線はそのまま上方に移動し、頼りなげな足取りでやって来たアキラにとまる。
「よー。体力回復させるぐらいで追っつくかい?」
言いながら、アキラはブリズの顔を覗きこむ。
「さて……彼が目を覚まさないことには、なんとも言えませんね」
ヴィンセントとレザード、二人がかりの手当ての甲斐があったのか、やがてブリズは目を覚ました。薄く開いた瞳はしばらく青空をさ迷った後、自身を覗きこむ顔ぶれに向けられる。
その瞳の色が彼本来の青に戻っていることを確認してから、レザードが声をかけた。
「お目覚めのようですね。気分はいかがです?」
「ああ……――」
両手で顔を覆い、気だるそうに息を吐く。ふとレザードの顔を見上げ、
「レザードさん?! どうしてあなたまでここに――ッ、痛」
身体を起こそうとするも、激痛に顔を歪め、ブリズは再び草地に身を横たえた。
「な、んなんだ……これは」
「あー。やっぱ、LPも回復させねーと動けねーよな。ちょっと待ってな」
「――何があったんです?」
遠ざかっていくアキラの声を聞きながら、荒い息遣いで誰にともなく問いかける。
「そこの女神と押し問答しているうちにお前は倒れたんだ。貧血じゃないのか」
「うむ。疲れているんだろう、ゆっくり休め」
ヴィンセントやアーロンの返答に、ブリズは短く答えて空を見上げた。彼らの答えに納得がいかないまでも、何か思い出したらしく、周囲に集まった者の中からヴァルキリーの姿を探し出すと表情をくもらせた。
レザードの後ろにいた彼女は、進み出てきて声をかける。
「皆の言うとおりにして、今は安静にしているといい。衰弱している者をつれて行くわけにはいかないからな。私の要件はまた日を改めることにしよう」
ブリズの、痛みとは別の要素を含めたしかめっ面に微笑み返し、ヴァルキリーはレザードに目を向けた。尊大に腕を組み、笑みの代わりに迷惑そうな顔を作る。
「今回は、想定外の邪魔も入ったことだしな」
「邪魔ですって。これはまた心外なことをおっしゃる」
言葉の通り、心外そうに眉を上げ、レザードは両腕を広げて見せる。
「先ほども申しあげたとおり、私は貴女をつれ戻しに来ただけです。今回ばかりは、邪魔者扱いされているのは貴女のほうなのですよ。おわかりですか?」
「む……」
ついさっきまでの戦闘の発端が自身にあること、そもそも行われる必要のなかった戦闘であったとの認識はあるらしく、ヴァルキリーは言葉を詰まらせながら周囲の男たちを見回した。
組んでいた腕をほどき、素直に頭を下げる。
「どうにもひとりで突っ走りすぎてしまったようだ。無用な争いを招いた非を詫びよう。すまなかった」
「気にしないでください。熱中して周りが見えなくなることは、誰でもままあることですよ」
被害を受けた側のブリズが朗らかに答えたので、誰もヴァルキリーを責めようとはしなかった。
ヴェントが小走りにやって来る。
「ちっくしょー、お前ら! トゥースの野郎が邪魔して何が起きてたんだか何も見えなかったけど! 音だけは聞こえてたんだぜ! よくも兄貴を――ッだ、べほっ?!」
ヴェントを蹴倒し、アキラが薬草の束を手に戻ってきた。
「ほらよ。薬草、持ってきたぜ。調合されてねーけど、応急処置としちゃあ、これでも効果は充分だろ」
「ああ、どうも」
なんとか自力で身体を起こせるまでには回復したらしく、アキラから薬草を受けとったブリズは、さっそく青い葉を口にする。草地に這いつくばったままそれを眺めるヴェントは、憤慨するでもなくぼそりとつぶやいた。
「……俺がつんだ薬草がさっそく役にたって嬉しいぜ。でもなんか俺、さっきから踏んだり蹴ったりな気がするんだけど、気のせいかなあ」
「同じことをブリズさんに正面きって言えるかい? みんながお前に気をつかった結果なんだから、そこはありがたく――」
「兄貴っ! 俺、さっきから踏まれたり蹴られたりしっぱなしなんだけど!」
躊躇することなく声を張り上げるヴェントに、アキラは呆れ顔になって首を振った。
「つか、戦乙女さんよ!」
残った薬草の束をかかげて薬草の使用をすすめてくるブリズを意図的に無視し、ヴェントは勢いよく立ち上がった。
「さっさと帰ってくれないかな、兄貴を神界へつれて行こうなんて無茶な考えは改めてさ!」
その勢いに戸惑ったようにたじろぎながらも、答えるヴァルキリーの声は平静なものだ。
「心配しなくとも、これから帰るところだ。今回は潔く諦めることにしたんだ」
「えっ、そうなの?」
頓狂な声を上げ、ヴェントは確認するように辺りを見回した。
「なんだ、それならそうと早く言ってくれよ。てっきりまだもめてるんだと思って警戒しちまったよ。なんならもう少しゆっくりしていけばいいんじゃないの」
ごたごたが解決したとわかった途端、満面の笑みとともに現金なことを言い放つヴェント。ヴァルキリーは軽く頭を振りながら返した。
「そうはいかない。帰ると決まれば早くせねば。何せ人手が足りないんだ……」
ぶつぶつと愚痴めいたつぶやきを漏らしかけてから、気をとり直したように息をつく。周囲の人間たちをぐるりと見回してから、ヴァルキリーは言った。
「それでは、私はこれで失礼する。無駄な騒動を起こして、本当にすまなかった。どうか、宴の続きを楽しんでくれ――ああ、そうだ。ブリズ」
「はい……?」
屈みこんで顔を近づけ、ヴァルキリーがブリズに何やら耳打ちする。
一瞬、怪訝そうな顔をしてからヴァルキリーを見上げたブリズは、彼女がこれまでになく「女神のような」穏やかな微笑みを浮かべているのを見て苦笑を浮かべた。
「――考えておきます」
うなずき返すと、ヴァルキリーはくるりと身をひるがえした。
「行くぞ、レザード」
傍らを通り過ぎていくヴァルキリーを目で追いつつ、レザードは深いため息をついた。ブリズにかける言葉もため息まじりだ。
「これほどまでに他世界の住人に嫉妬心を抱いたことはありませんよ。私はあなたがうらやましい」
「うらやむ気持ちがあるなら、真っ当な人間になるよう努めることですね」
「とんでもない、私はこれでも真っ当なつもりですよ! まあ、私があなたの立場だったとしても、やはり彼女のエインフェリアにはなりませんがね……」
「レザード!」
背後からヴァルキリーの怒ったような声が投げかけられ、レザードは皆に軽く一礼してから小走りに彼女のほうへと駆け寄っていった。
「早くしろ。置いていくぞ」
「はいはい、あまり急かさないで下さい。これではまるで貴女が私をつれ戻しに来たようですよ」
あれこれと言い合っているうちにレザードが作り出した移送方陣が発動し、輝きに包まれたふたりの姿は次元の彼方へと消えていった。