アキラ君の人間観察記-8-

「あーあ。女神サマ、帰っちまった。まあ、これでひと段落ってとこかな」
ヴェントの言葉に、アキラが大きくうなずく。
「ったく。どこに行っても誰かが何かしら騒動を起こしやがる。もっとおとなしく楽しめないもんかね……」
「面目ない」
ブリズが頭を下げたので、アキラとヴェントは慌てて首を振りながら言った。
「いやいやいや、ブリズさんはなんも悪くねーよ。さっきのはヴァルキリーが勝手に来て勝手に騒いで、みんなワーッてなっただけだし?」
「そうそう。兄貴は悪くないって。そりゃあ、オルステッドのときは兄貴が悪かったけどさ……」
「バカーっ! フォローになってねーよォ」
「痛っ! いちいち叩くなって!」
少年ふたりのやりとりを微笑ましそうに眺めるアーロンとヴィンセント。ブリズのほうは特に気にすることなく、ヴェントらの後方に視線を向けている。
「あれ……トゥースさんはどうされたんですか?」
問いかけに皆が同じ方向に目を向ければ、座りこんだトゥースが草の上に向けて何やらぶつぶつとつぶやいているらしいのが見えた。
「ある一点、自分の意向が通らなかったばっかりにすねてるんだよ。放っときゃいいんじゃねーかな」
ヴェントと軽く小突きあいながらのアキラの返答に、ブリズは疑念を深めたように傍らのアーロンらに顔を向ける。アーロンもヴィンセントも肩をすくめるにとどめ、答えはしなかったので、ブリズはもう一度トゥースのほうへ目を向けた。
「あ、兄貴! もう動いて大丈夫なのか?」
ブリズがトゥースのほうへ歩いていくのを見て、ヴェントがこれについてきた。振り上げた拳が空振りしたアキラも、なんとはなしに照れ笑いを浮かべてから、彼らの後に続いた。
「どうしたんですか、こんな離れた場所でひとりで……」
「ああ?」
見上げてくるトゥースの声音と表情が、彼にしてはあまりに子どもじみたものだったため、ブリズは面食らったように足をとめた。相手がブリズだと認識すると、トゥースは不機嫌そうな表情を一瞬で打ち消し、ブリズの全身を眺めながら、
「とんだ災難だったな。身体のほうはもういいのか」
言いつつ、視線はすぐ草の上に落ちる。
「おかげさまで。色々と迷惑をかけてしまったようで……申し訳ないです」
「気にするな、不可抗力だ」
ブリズはトゥースの手元に視線を落とした。草を引き抜いて円状に露出させた土の上に、複雑な文様が描かれている。
ブリズの背後からひょっこり顔を出し、ヴェントが口をはさんだ。
「俺、これ知ってるぜ。呪いの方陣だろ。お前って、本当、悪いやつだな」
その声を聞いて初めてヴェントの存在に気づいたらしい。トゥースはわずかに顔を引きつらせ、ヴェントを見上げた。その眼前に屈みこんだヴェントは、笑みすら浮かべながら「呪いの方陣」を指差す。
「ひと昔前に流行ったんだよな、これ。俺は関わったことないけどさ、知り合いの知り合いがこいつのせいでオーサカシティでスリにあうわ当て逃げされるわ、挙句、ビリケンさんに会えないってんで、もう、しっちゃかめっちゃかで――」
「いけない人ですね。いったい、誰を呪ったんです?」
ヴェントのとりとめのない又聞きの体験談を聞き流しながら、ブリズがトゥースに問いかけた。ヴェントのとなりに腰を下ろし、返答を待って小首をかしげてみせる。
「聞き分けのない愚女」
方陣を見つめたままの返答を繰り返し、それがヴァルキリーのことを指しているのだと察してブリズは苦笑いを浮かべた。
「彼女ならもう帰りましたよ。呪う必要もないでしょうに」
「二度と来ないように、な」
方陣の上に散らした数枚の葉が、火もあげずに灰になり風に舞う。
「――だいたい、ああいう押しつけがましい女は好みじゃないんだ。その影を感じるだけで、どうにも虫酸が走る」
「進んで『不死者』に好かれようとは思っていないでしょうけどね、彼女も」
受け答えるトゥースの表情が、一貫していたずらを見とがめられた子どものようなものだったので、ブリズは好ましそうに微笑を浮かべた。常の泰然としたものに比べ、よく注意して見ていなければ気づかないほど微細な違いであるため、ヴェントのほうは全く気づかずにまだ「知り合いの知り合い」の話をしている。
次に方陣に触れた葉は、火をあげて灰になった。
「そういえば、最後にあの女に何か言われていたようだな。何を言われたんだ」
「うーん……」
はぐらかすような声を漏らしながらトゥースから目をそらし、しばらくしてからブリズは答えた。
「秘密です」
方陣から目を上げたトゥースは、その答えに納得したのかしていないのか、ブリズの横顔を目を細めて凝視する。今まで意識的に目を合わさないでいたのか、不意に視線を戻してきたブリズと目が合うと、狼狽した様子で目をそらした。
「知り合いの知り合い」が「そのまた知り合いの知り合い」にまで発展し、ひと通りを話し終えたヴェントがひと際大きな声を上げる。
「――ってなわけで。人を呪わば穴ふたつって言うだろ、トゥース。下手なことはやめておけよ、しかも相手は一世界の神サマだぜ」
仏頂面になりかけて思いとどまり、トゥースは表情のない顔で方陣にそっと手を触れた。
「こんなものは子どもの遊びだ――お……?」
方陣の上に散らした葉が燃え、焼失してなおその火が消えることはなかった。
少し離れた場所で、男の短い悲鳴が上がる。
皆がその方向に目を向ければ、金髪の男が胸を押さえて草地に倒れこみ、その傍らに膝をついた青年が慌てて彼を抱き起そうとしているところだった。

「キャッシュ?! え、なんだよ、何がどうしたってんだよ!」
驚いたヴェントが男と青年のほうへ駆けていく。
その背を見送って、トゥースは倒れている男――キャッシュ・バーガンディへと目を向けた。
「子どもの遊び、ねえ」
ヴェントらとは違い、方陣が放つ邪悪な気配を敏感に感じとって近づけないでいたアキラが、トゥースと方陣とを交互に見やってからキャッシュに目を向ける。
「――ありゃあ、子どもの遊びかい?」
キャッシュはまだ草の上で苦しそうな声を上げている。
「次元を超えた相手にまでは効果が及ばないものだからな。効果の及ぶ範囲も非常に狭い。おそらく次元の壁にでも当たって跳ね返ってきたのだろうが――」
青年とともにキャッシュを抱き起し、ヴェントは方陣を指差しながら何かわめいている。あまりに早口にまくしたてるためにトゥースらには聞きとることが出来なかったが、ブリズはひとつ大きくうなずくと、
「消火!」
方陣の上にともる小さな炎を素手で土の上に押しつけ、もみ消した。
「うぎゃあっ?!」
「ォおいッ!!」
アキラとトゥースが同時に声を上げる。
「貴様というやつは……! この類のものは、呪術者以外の者が下手に手を出せば手ひどいしっぺ返しを喰らうというのは常識だろう、その程度の知識すら持ち合わせていないのか?――というより、無事か?」
「ええ。少し火傷した程度ですね」
すかさずアキラがブリズの手をつかみとり、回復の念を送りこむ。
「これで火傷すらしないなら、そのほうがどうかしてるぜ……」
釈然としない面持ちでブリズを見つめるトゥースの横で、ヴェントともうひとりの青年の声が上がる。呪いの効果から解放されたキャッシュが唐突に立ち上がったため、バランスを崩してしりもちをついたようだ。
「痛みが消えた……いったい、なんだったんだ??」
目をしばたかせながら両腕を振り回すキャッシュを見上げ、ヴェントは大仰にため息をついた。
「あそこのクソ吸血鬼が呪いやがったのさ! 文句があるならきっちりガツンと言ってやりな!」
トゥースを指差しながらの言葉に、青年のほうが同じようにため息をつきながら答えた。
「ッは。やっぱり呪いか。クエストが無事に済んだと思ったら、最後の最後でこれとはな……ったく、見上げた呪われ体質だぜ」
「クエストぉ? お前ら、今までどこで何をやってたんだよ……」
キャッシュとともにやって来た青年、ゴージュが背負った大きな布袋を見やりながらヴェントは首をかしげた。同じものを、キャッシュはふたつ背負っている。
「ちょっとレインボーグッキー狩りに行ってたんだよ」
「はァ?! オフ会の管理役を放ったらかしてまで何やってんだよ! こっちは色々と大変だったんだぞ」
「おーい! アキラ君、アキラ君!!」
ゴージュとヴェントのやりとりは、キャッシュの大音声にかき消された。
先ほどヴェントが指差した方向にアキラの姿を見つけ、キャッシュは満面の笑みを浮かべながら歩いていく。
「悪いな。愚痴は後でたっぷり聞いてやるからよ。まずはこいつをアキラに渡してやらねーと」
背中の布袋を示し、ゴージュはキャッシュの後を追った。
その彼に続こうと立ち上がり、不意にうめき声を聞きつけてヴェントは振り返った。
声が聞こえたアキラの屋台に、人影はない。
気のせいだったと納得してヴェントが身をひるがえしたのとほぼ同時に、死角になっていた場所からリロイが顔を出した。倒れこんでいたらしく、屋台の縁につかまるようにして立ち上がり、息も絶え絶えに前方を睨みつける。
そのとなりから顔を出したのは、オルステッドだ。
喧嘩と呼ぶにはあまりに壮絶な剣の打ち合いを終え、騒動の収束を報告しにアキラを探してやって来たのだが――突然倒れ、立ち上がったものの、荒い息遣いで胸を押さえ、脂汗すらにじませるリロイを見て、オルステッドは心配するよりも先に困惑している様子だ。
「……大丈夫、なのか?」
「大丈夫なもんか!……くそっ、あいつら呪いがどうのとか言ってたな……」
ヴェントとアキラの双方から愚痴に近い抗議を受けるゴージュに、それをなだめるキャッシュ。彼らをぼんやりと眺めていたトゥースがリロイの視線に気づき、屋台に目を向けた。
苦痛に歪んだ顔をしたリロイと目が合い、方陣の上に視線を落としてから再びリロイに目を向ける。
ゴージュらが持ってきた布袋の中身を、アキラやヴェントとともに覗きこもうとしていたブリズの腕を強引に引っ張り、リロイを指差しながら、何事かを告げる。
ブリズは方陣を一瞥してから驚いたような目をリロイに向けた。
しばし呆然とする彼の横から興奮した様子でアキラが話しかけてくるが、そのとなりのトゥースともども様子がおかしいことに気づき、ひと言かふた言交わしたのち、アキラもまた自らの屋台に目を向けた。その場に集まっていた全員の視線がリロイとオルステッドの姿を捉える。
「リロイじゃんか。そんなところで何やってんだよ?」
ヴェントの声はよく通る。
さっきから居たっけ? などと首をかしげるヴェントをうんざりした様子で見やり、リロイは口の中でつぶやいた。
「俺は呪いなんか信じないからな……くそっ、だいたいあの野郎――うっ?!」
トゥースが嬉々とした様子で「呪いの方陣」に手をかけるのを見て、リロイはすかさず叫んだ。
「てめー、いい加減にしやがれ、この不気味くんが! 次、俺に何かしやがったらただじゃおかねえぞ!」
トゥースの手元に火の玉が現れるのを見て、リロイは慌てて屋台の影に身を隠した。
「――ふん」
方陣を消しながら、トゥースは鼻で笑った。火の玉は、別の術で作り出したものだ。
「あまりからかわないほうがいいですよ」
とがめるように言うブリズは、トゥースの手元ではなく、布袋を抱えながら屋台へと歩いていくキャッシュ、ゴージュ、それにアキラとヴェントの背中を眺めている。
「リロイさん、呪いに関しては嫌な思い出しか持ってないんですから」
「呪いに対して良い思い出を持っている人間は、そう多くはないだろうがな」
手についた土をはたきながら、トゥースは意地の悪い笑みを浮かべた。
「しかし、意外なものが弱点だったんだな、あの黒ずくめは。いいことを知った。今日はこれだけでも相当な収穫だ」
その横を通り過ぎようとしていたアーロンが、呆れたように言い添えた。
「むやみに人の弱点をついて喜ぶのは、あまりいい趣味とは呼べないな……」
ゴージュらが持ってきたレインボーグッキーを早速調理してみようと上機嫌になったアキラが、ついてくるように声をかけたのだ。アーロンとともに屋台へ向かっていたヴィンセントは、方陣が描かれていた場所をちらりと見やり、
「弱点に触れようとすらしない甘ったれも、考え物だがな」
「どっちも似たようなものだ」
言い合いながら、ふたりは屋台へと歩き去って行った。
「俺たちも行きましょう。レインボーグッキーなんて滅多に食べられるものじゃないですからね、油断していたら喰いっぱぐれますよ」
「そうだな……」
いつの間にやら、屋台の周りにはオフ会に参加していた者たちが続々と集まり始めていた。