アキラ君の人間観察記-12-

潮の香りがした……ような気がする。
海から遠い内陸の草原で、どうして。
いぶかしがりながら、アキラは閉じていた目をゆっくり開いた。
木製のベンチに寝転んでいることに気づき、それに対しても不思議に思いながら身を起こす。
正面の少し離れたところで、背広を着たサラリーマン風の男に紙包みを渡すヴェントの姿が目に入った。
紙包みを受けとった背広の男はアキラのほうをちらりと見やり、不満そうな、それでいていたわるような、なんともいえない微笑を浮かべて軽く会釈すると、その場を立ち去っていった。
(そういえばあのリーマン、いつも公園の同じベンチに座って仕事サボってたんだっけ)
背広姿をぼんやりと見送っていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「あいよ、たい焼きみっつ。お待ちどおさん!」
「わーい。ありがとう、たい焼きのおじちゃん」
のけ反るようにして振り返ると、屋台の鉄板に向かう長身の男の姿が目に入った。
「む、無法松?! あんた、そんなところで何やってんだよ?!」
屋台の前に並んでいた母娘に紙包みを渡し、料金を受けとる。彼女らの姿を見送ってから、男は答えた。
「見ればわかるでしょーが。たい焼き屋のお兄さんよ」
「お兄さんって、あんた、とっくに引退したはずじゃあ……だいたい、今日は公園の屋台営業は休み――あ、いや、そもそも、俺、なんでここに……」
手際よく後片づけを始める無法松の手元にとりとめのない言葉をかけ、しまいには頭を抱えながらもアキラはまだ何かつぶやき続けている。
彼らの間に割って入る位置に腰かけ、ヴェントが言った。
「松さん、年中無休がモットーだからって、こっちに戻ってきてからアキラの代わりに屋台を開いてたんだよ」
「……なんか、思い出してきた」
小刻みにうなずきながら、アキラは懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。
屋台を異世界出張した先で、頻発する小競り合いに自身の力を使い過ぎたためか、ついには気を失ってしまったのだ。
最後にモメていたグループの顔を思い浮かべる。
「……あいつら、モメてたみたいだけど。どうなった?」
「クラウドさんたちか? お前が倒れた時点で喧嘩をやめて、帰ったぜ。みんなついてこようとしてたけど、ゴージュが帰れって言ったからさ」
「ああ、そう」
両手のひらで顔を覆い、深いため息とともに続ける。
「で、そのゴージュはどうしたんだよ。いっしょになって帰ったのか。ぶっ倒れた俺をお前に押しつけて」
「あー、それはそうじゃなくて」
屋台を片づけ終えた無法松が近づいてきたため、ヴェントはフォローの言葉をとめた。
「ちゃんと礼をしておけよ、アキラ。気を失ったお前さんをここまで運んできたのは、ゴージュなんだからな」
「そ、そうなのか? へー……ふーん……」
無法松が持ってきた駄賃替わりのたい焼きが入った紙袋を受けとりながら、ヴェントがつけ足した。
「俺が背負ってくって言ったんだけどさ、こうなった責任の一端は自分にもあるからって。ほら、ああ見えてあいつ、仲間思いで面倒見いいから」
「ううん……」
同じく紙袋を受けとりながら、アキラは素直に賛同したくないといった面持ちでうなっている。
「あのサボリ魔のクソ運営がねえ……まあ、後半は確かにちゃんと仕事してないとも言えなかったけどよ……」
「っは。クソで悪かったなあ」
淡々とした調子の声とともに、アキラの背後から伸びてきた手が彼の頬に何か冷たいものを押しつけてきた。
「うええっ?! 何しやがんだよ!」
思わず身をかがめて振り返った先には、ゴージュが立っていた。ヴェントが何事もなかったかのように呼びかける。
「お。お帰り、ゴージュ」
短く答え、ゴージュは手にしていた缶ジュースをヴェントと無法松に手渡した。ベンチの背もたれに背中を預け、アキラに言う。
「背後から近づいてくる俺の『声』が聞こえないようじゃあ、まだまだ本調子には遠いようだな?」
「くっそ……油断した」
アキラにはミネラルウォーターを渡し、ゴージュも残ったジュースを飲み始める。
受けとった水を飲まずにぼんやりと地面を眺めていたアキラだが、やがてぼそりとつぶやいた。
「あ……、ありがとうよ」
「ああん?」
誰に対する言葉なのか判然としないため、ゴージュが聞き返す。
ペットボトルを軽く振りながら、アキラは答えた。
「……水」
「あー。なるほどな」
ただの水なので振る必要はないのだが、必要以上にペットボトルを振り続けるアキラに納得したようにうなずき返し、ゴージュはジュースの残りを飲み始める。
存分に振った水をアキラが飲み始めたころになって、無法松がおもむろに切り出した。
「ところで、なあ、アキラ。俺は悲しいぞ」
一気飲みに近い勢いで水をあおっていたアキラは、先をうながすような目を彼に向ける。
「ゴージュ君からの屋台出張の依頼、次のぶんは断ったんだってな」
思わずむせかえるアキラの背中を、ヴェントが無言でさする。その様をにやにやしながら見下ろすゴージュをアキラが睨みつけるが、そのどれをも意に介さない様子で無法松は続けた。
「断わったこと自体は、いい。しかし、だ。そのワケを説明するのに嘘をついたのは、いただけないな」
「ぐ……」
反論の言葉を探しあぐねてうなるアキラに、横からゴージュが口を挟む。
「まあ、気にすることはないぞ。墓場オフは、無法松が配膳を引き受けてくれるらしいからな」
「はぁっ?!」
勢いよく顔を上げ、アキラはゴージュと無法松の顔を交互に見やる。
「な、なんだよ、何をどう話してそうなったんだよ! あんたが墓場に屋台を引いていっちまったら、店はどうするんだよ? 休むのか?」
「こいつはもうお前のもんだ。俺がどこで何をやろうが、お前はここで店を開けばいい」
「んん……でも、それじゃあ」
屋台もなしにどうするのかと困惑顔のアキラに、無法松はにっと笑いかける。
「身ひとつに食材と最低限の道具がありゃあ、どこでも料理はできらァ」
軽いながらも自信に満ち溢れた物言いに、ヴェントなどは尊敬の眼差しで無法松を見上げていたが、アキラは不安そうだ。
「本当に大丈夫かよ……屋台のほかで作るあんたの料理が激マズだってこと、俺ァ知ってるんだぜ……」
「目の前の相手にウマイものを食わせたい。その心意気があれば、どうにかなるもんよ」
「いや、心意気の問題じゃなくて、現実問題としてだな……」
どう言ったものか迷うアキラの横から、ヴェントが瞳をキラキラさせながら口を挟んだ。
「松さん。人手が足りてないなら、俺、手伝うよ。当日ちょうどヒマだし」
「お。いいのかい」
ギョッとした様子のアキラを気にもとめず、ヴェントは少し仰け反ってゴージュに声をかける。
「お前も手伝えよな。放っておいたら、また今回みたいにサボってどこか行くんだろうし」
「ハナッからそのつもりだ。面子的に、次回は配膳に回るのが一番安全だからな」
「ああ。真面目に仕事しつつ必要以上の接触は完全拒否ってわけか。なるほどね、それなら……」
「なるほどじゃ、ねーよ!」
唐突に声を荒らげるアキラに、皆の視線が集まる。
「お前ら手伝うなんて簡単に言うけどな、そもそも料理スキルなんて持ってねーだろ。足ひっぱるだけなんだから、やめとけよ」
「あ、スキルなら大丈夫だぜ」
待ってましたとばかりの笑顔を浮かべるヴェント。逆に不機嫌そうに顔をしかめ、睨みつけてくるアキラに向かって胸を張ってみせる。
「この前、テイルズ界で熟練度上げてきたばっかりだから、そこそこイケるんだぜ!」
「そいつは頼もしいな。さっきの手伝いも、初めてにしちゃあ中々よくやってくれたし、頼りにしてるぜ」
「おう、まかせといてくれよ!」
無法松とヴェントが互いに差し出した手を握り合うのを見て、アキラはうろたえたように表情を引きつらせる。
ヴェントとは別の場所でのスキルアップを告白したゴージュまでもが無法松と固い握手をかわす段になって、アキラは耐えかねたように立ち上がった。
「……俺も行く」
唐突な宣言に、ヴェントはわけがわからないといった顔でアキラを見上げる。
「行くって、どこに?」
「墓場オフの屋台出張だよ! お前らみたいなトーシロふたりに任せてられっか。システムに頼りきったスキルアップなんざ、そもそも実戦じゃあなんの役にも立たねーんだから。それに――」
ほとんど息継ぎなしに言いきって、アキラはもう一度ベンチに腰を下ろした。残りは口の中でつぶやくように発せられたため、それが聞こえなかったヴェントはアキラの言葉をさえぎる形で問いを重ねた。
「来てくれるのはいいけど、でも、アキラだって用事があるからゴージュの依頼を蹴ったんだろ? そっちはいいのか?」
「……用事なんか、最初っからなかったんだよ」
「へえ?」
吐き捨てるようなアキラの物言いに、ヴェントはますますわけがわからないといった様子で首をかしげた。断わられた当の本人であるゴージュは、無法松と視線を交わし、苦笑を浮かべながら肩をすくめてみせる。
「まあ、ともかくだ」
なだめるような声音で言って、無法松はアキラの前に手を差し出した。
「当日は、よろしく頼むぜ。こと屋台に関しちゃあ、お前がいれば百人力だ」
その手をバシンと音がなるほどの勢いで払いのけ、
「こと出張屋台に関しちゃあ、あんたより俺のほうが先輩なんだからな。当日は、みっちり指導してやるから覚悟しろよ!」
「おお。怖いな」
噛みつかんばかりに言ってそっぽを向くアキラを見下ろしながら、無法松は苦笑いを浮かべた。アキラは腕を組み、不機嫌そうな顔を更にしかめながらつぶやく。
「……しっかし、なんかおかしいな。うまくハメられたような気がする」
呆れた様子を装いながら、ゴージュが言う。
「いったん断ったやつのセリフじゃねえな。お前が自分から勝手に『やる』って言ってきたんだろうが。誰も誘ってねーのによ」
「そ、それにしたってデキすぎてねーか。やっぱ、おかしいぜ」
納得がいかない様子のアキラに、ゴージュは不思議でもなんでもない様子で返す。
「次のオフ会の配膳もお前がやるっていう、サファイアの占い通りになっただけの話だろ。気にするなよ」
「は? 占い?」
しかめっ面のままゴージュを見上げると、アキラはわずかばかりの笑みを浮かべて続けた。
「そんなもん、関係あるかよ。俺が自分の判断でやるって決めたんだから」
「そうだな。じゃあ、それでいいってことだろ」
「うん。……おお?」
晴れ晴れとした表情を浮かべかけて、アキラは再び顔をしかめる。
「いや、待て。なんか、おかしい。やっぱ、納得いかねえ」
「なんだよ。何が不満だ」
頭を抱えてうなり続けるアキラを見下ろすゴージュは呆れ顔だ。
たい焼きを頬張りながら彼らを眺めていたヴェントが、特に感情をこめるでもなく言った。
「今日は色々あったから、まだ疲れてるんだって。考えたって答えなんか出ないよ」
「ああ……まあ、そうだよな」
疲れているのは確かだ。
そう思ったアキラはうなるのをやめ、一日分の疲労を一度に吐き出すような、深いため息をついた。
先ほどは何気なく言葉をかけたヴェントは、今度は「努めて感情をこめないようにしている」といった顔つきで続けた。
「占ったのがルビィじゃなくて良かったじゃないか。サファイアさんは占いの結果を伝えるだけだけど、あいつは結果を実現するために自分が走り回るってインチキパターンが多いからね。あくまで屋台出張はナシって粘ってたら、オフ会当日まで『出ろ、出ろ』って催促されてたかもしれないぜ」
「……自分は参加しないのにか? そいつは勘弁だぜ」
うんざりしたような顔つきで答えながら、アキラは吐き出した疲労が再び戻ってきたような気分になったため、その感覚を追い払うべく首を振った。ミネラルウォーターをひと口飲み、ゴージュに呼びかける。
「で、ゴージュさんよお。当日、誰が来るわけよ。場所が決まってるってことは、面子もだいたい決まってるんだろ?」
「お。ノッてきたな」
懐から丁寧に折りたたんだメモをとり出しつつ、ゴージュはにやにやしている。
「ノるとかノらないとかじゃ、ねェよ。参加するやつを先に把握して、ある程度の覚悟を決めとかねーと。おとなしくて控えめな俺たち日本人と違って、お前ら、ジコシュチョー激しすぎだからな。知らずに出てって応対し損ねたら、何されるかわかったもんじゃねーだろ」
「あ、ひでーのな。異界人の悪口なんか言ってさあ」
言いながら、ゴージュと同じような笑みを浮かべるヴェント。何か言い返そうと口を開きかけるアキラの前に、ゴージュが広げたメモを差し出した。
「声をかけてるのは、これだけだ。印がついてるのが、現時点で参加確定してるやつだ」
横からメモを覗きこんだヴェントが、心底嫌そうな声を上げる。
「げっ! トゥース来るのか?! 場所は墓場だろ? アンデッドなんか呼んで、大丈夫かよ。アキラじゃねーけど、なんか俺も不安になってきたぜ……」
未確定の予定者の中にオルステッドの名を見つけたアキラは、複雑そうな表情を浮かべた。
「おい……なんでまたオルステッドを呼んでるんだよ。今日のいざこざでこりたろ……ああ、あんた、あの現場にはいなかったから知る由もないか」
リストを上から下まで眺めつつ、アキラは愚痴めいたつぶやきを漏らし続ける。
「来る客に文句を言っちゃあ、いけねーよ。客の誘導も、屋台主の重要な仕事。それが出来ねーでただ嘆くだけじゃあ、お前さん、まだまだヒヨっ子ってことよ」
「うぐ……」
参加予定者のリスト中に知り合いの名前を見いだせない無法松は平然としたものだ。最も、知り合いの名を見つけても彼の態度は変わらないのだろうが。
リスト中の個性的な面々の無茶な行動に、この屈強な男が振り回される現場に立ち会いたいものだと密かに思いながらも、同時に「そんなことはまず起こりえない」と否定をし、アキラは言い訳とも嘆きともとれるつぶやきを発するにとどめた。
「……まあ、もめ事の大部分は屋台の外で起こってたんだけどな」
それでもしばらくはリストを眺めながら不満や不安、不平の入り混じったような声を上げていたが、やがて意を決したように膝を叩いた。
「よぉっし、覚悟完了だぜ!」
たたみ直したメモをゴージュに返しながら、
「残りの面子が確定したら、連絡をくれ。アレルギー持ちのチェックも、忘れねーでくれよ」
「ああ、わかってる。そんな繊細なやつ、いねーとは思うがな」
「念には念を、だよ。何かあってからじゃあ、遅いからな」
戻ってきたメモが元の折り筋を無視したようなたたみ方であったため、ゴージュはわずかばかり眉をひそめていたが、その場の誰も気づくことはなかった。
そのままゴージュとの軽い打ち合わせを続け、それが終わるとアキラは元気をとり戻したような顔になっていた。
配膳に関わるメンバーがこの場にいる全員であることを確認し、それぞれに声をかける。
無法松には、あくまでアキラが配膳メンバーのリーダーであり、そのやり方に文句をつけないこと。
ヴェントには、運び業と屋台の接客は違うことを認識し、あまり無理をしないこと。
そして、ゴージュには絶対にサボらないこと。
これらを各自に念を押すように約束させ、ようやく納得した様子でアキラはうなずいた。
最後に、ふと思い出したように、
「そういえば、松。あんた、なんで薬草の丘なんかにいたんだよ。偶然通りかかったにしちゃあ、あんまりにもタイミング良すぎだぜ」
「黒服の紳士に応援を頼まれてな。名前は、確か――ああ、いかん。ド忘れした」
「はあ?」
紳士の名を思い出そうと軽く後頭部を叩く無法松に、ヴェントが助け船を出す。
「それ、きっとイスカンダールさんだよ。あんな短時間で外に助けを呼びに行けるのなんて、あの場だったらアンリミテッドの次元移動能力ぐらいじゃん」
「おお、そうだ、確かにそんな名前だった」
イスカンダールの出現の仕方には、さすがの無法松も驚いたらしい。彼のもつ特殊な力について、ヴェントは知っていることを無法松にさらりと説明した。
異なる次元の世界を自由に行き来し、外の世界では無敵のアンリミテッド――。
その力に期待を寄せてか、ヴェントは「イスカンダールも配膳メンバーに」「むしろオフ会の幹事に」とつけ足したが、ゴージュに「生まれ故郷では普通の変なおっさん」と若干ややこしいツッコミを入れられ、唇をとがらせていた。
彼らのやりとりを聞きながら、先ほど見たメモの中にもイスカンダールの名があったことを思い出し、アキラは、占い師サファイアの「次のオフ会では参加者同士のいざこざは起きない」という言葉を思い出していた。同時に、ヴェントと同じ期待を浮かべかけていた自分に対し、苦笑を浮かべる。
外では無敵のアンリミテッドも、生まれ故郷ではその力を発揮することはできない。
そのことを踏まえてなのかどうか、イスカンダールがオフ会等のイベントで起きる喧嘩の類に自ら介入することは滅多にない――それを思い出したからだ。
護衛として誘ったところで、そもそも引き受けてはくれないだろう。
(難儀な能力だね。俺も人のことは言えねーけど)
既にオフ会とは無関係な雑談に入りかけているヴェントとゴージュを横目に、アキラは軽く息をついた。